鬼になる
昔、まだ総司が宗次郎と呼ばれていた頃、総司は一等輝く星になると言った。
そうして、土方と近藤の一番の役に立つのだと誇らしげに笑った。
あの時のあどけない笑顔は、未だ薄れることなく、歳三の心裡の一等大切な場所にいる。
総司は、その面影を残したまま大人になった。
その笑顔で歳三に笑いかけ、その笑顔で童子と戯れる。
そうして、その笑顔のままで人を、斬った。
歳三には、それがどうにも危うく不安で、また堪らなく愛おしかった。
総司が初めて人を斬った。
斬った感触が消えないのか、総司は震える両の手を力の限り握りしめていた。
本当は抱きしめてやりたかったが、皆の手前それも儘ならなかった。
(難儀なことだ。抱きしめてもやれないなんて)
「土方さん、ご無事ですか?」
「・・・あぁ、なんともないさ」
総司の切羽詰まったような声色に、歳三ははっと総司に眼を向けた。
総司がほっと息をついて、微笑した。
その笑顔は、あらゆる感情を押し隠そうとしているようで、歳三の胸は、この上もなく締め付けられる。
歳三は、後悔した。
やはり総司を京に連れてくるべきではなかったのではないかと思い始めている。
(総司に最も似合わぬことをさせている)
歳三は、微笑した。
総司の顔が目に見えて強張った。
昔から聡い坊やであった。歳三の後悔の念を見抜いたかもしれぬ。
(俺は、総司を鬼にでもしたいのか)
この愛おしい存在を壊して、得られるものはなんだろうか。
歳三は唇を噛みしめ、総司に背を向けた。
少し遅れてついてくる総司が泣いていればいいのに、と思った。
(・・・、俺は、鬼になる)
静まり返った廊下をひたひたと歩いてくる足音が一つ。
今宵は来るであろうと踏んでいた歳三は、書き物をしていた手を止めた。
断りもなく、障子がすらりと開いた。今宵は、月が明るい。
淡い光の中立つその姿はどこか頼りなく見える。素早い動きで室に入り込んだ総司は、障子をぴたりと閉めて、端座した。
「土方さん・・・」
「眠れないのか、坊や?」
視線だけを総司に向けた歳三に、総司は膨れっ面をしてみせた。
歳三は涼しげな目元を緩め、微笑した。その微笑に総司の瞳が頼りなげに揺れる。
長い睫毛の先が揺れる様をじっと見つめていた歳三であったが、やがて堪らなくなって、その華奢な身を抱き寄せた。
総司がうっとりと息をつく。
そうされることを待っていたかのようであった。
「土方さん、今宵は月が奇麗なのです」
「その様だ。だから、お前の心裡も今宵は誤魔化せやしねぇよ」
「それは、困るなあ」
総司は然程困ってもいない風にそう言って、くすくすと愛らしい笑い声を立てた。
「総司、お前な・・・」
「土方さん」
総司が歳三の言葉を遮るように名を呼んだ。妙に張りつめたような、その声色に歳三は苦笑するしかない。
「土方さん、覚えていますか?私が昔、お星様になりたいと言ったこと」
「まだ、ほんの餓鬼だったな」
「そうですとも。それでもあの時分は、それが最良だと思っていたのです」
総司が、歳三の胸に頬を擦りつけ息をついた。
歳三は、その豊な黒髪に唇を寄せる。
総司は、いつもほんのりと甘い香りがする。歳三には、昔からそれが不思議で仕方なかった。
「土方さん。私はね、鬼になりますよ」
「・・・・鬼か」
「えぇ、鬼です」
「似合わんな」
「そうかなあ」
総司が腕の中で、くすりと笑った。
華奢な総司の背を抱きながら、歳三は顔を覆って泣きたくなった。総司自身からこのようなことを言わせてしまった自分がただ情けなく、切なかった。
総司は、強い。そして同じだけ優しい。
おそらく、総司は歳三の弱さを見抜き、自分で釘をさしにきた。離れる気はないと。
ただ一身に、傍にいたいのだと。そのために総司は、鬼になる覚悟をした。
それに比べ、自分はどうだ?
手放すこともできないくせに、総司が変わってしまうことをただひたすら恐れている。
(これは、俺の弱さだ)
歳三は、昔と変わらぬ総司の澄んだ双眸を見つめた。
その瞳は、昔となんら変わりない。
(何にも変わっちゃいねぇ)
きっとこの先も総司は、何一つ変わることはないだろう。
こちらが危うく思うほどに。
きっとその優しいままに、傷ついていくのだろう。そう思うと、どうしようもなく心裡の真ん中が痛んだ。
「だから、要らぬ心配は無用ですよ」
「うん?」
「私が気がつかないとでも思ったのですか?あの時、貴方後悔したでしょう」
ぐっと唇を噛みしめ、歳三を睨みつけてくる総司の双眸が不意に潤んだ。
そのいじらしいまでの真っ直ぐさが、歳三の眼に眩しく、また愛おしかった。
「馬鹿、後悔なんざしねぇよ。俺はな、この先どうなってもきっと、変わらずお前が愛おしいよ」
「・・・・っ、ほんとう?」
「ほんと」
囁くような歳三の甘い声に、総司は照れ隠しにきゅっと瞳を閉じた。
その拍子に、眼尻から零れた一粒の涙を歳三は、この上もなく大切なもののように掬って、拭ってやった。
歳三の心裡には、もう一つの迷いもない。
この日、歳三は己も鬼になることを人知れず決める。
そうして、この優しい鬼とどこまでも共に歩むのだ。新撰組と近藤を守る。それが歳三と総司の共通の願いだった。
その先に、迷いも不安も一切なかった。
総司がいる、それだけでよかったのだ。
土方は、華奢な総司の身を、もう一度強く抱き寄せた。
まだ、夜は明けそうに、ない。
END