お天道様とお月様とお星様と
宗次郎は陽光にそっと手を翳してみた。
小さな手はあっさりと輝く陽光に覆われる。きらきらと輝くそれに目を細め、宗次郎は笑みを浮かべた。
不意に、その小さな手を背後から包むようにして、握りしめてくる者がいた。
宗次郎は大きな瞳をきょとりとさせ、後ろを振り返った。
途端、その愛らしい容貌に満面の笑みを浮かべている。
「歳三さん、おかえりなさい!」
「久し振りだな、宗次」
そこには、端正な面に優しげな笑みを浮かべ、行商の荷を背負ったままの歳三が立っていた。
我慢できずに、ぴょんと歳三に飛びついてきた小さな身体を苦もなく受け止め、歳三は微笑した。
「何をしていたのだ?」
「お日様をね、見ていたのです。きらきらしているの」
あどけない物言いに、歳三は切れ長の涼しげな目元を綻ばせた。
お天道様を掴むように宗次郎は、もう一度空に向かって小さな手を伸ばした。
それにつられるようにして歳三もまたそれを見上げ、目を細める。
歳三は小さな身体を抱き上げ、大きな瞳を覗き込んだ。
突然の浮遊感に驚きを浮かべた宗次郎の瞳が歳三を見て、破顔する。
「宗次、あんまり見ちゃいけねぇよ。目を傷める」
「はい」
「いい子だ」
神妙な顔で素直に頷いた宗次郎の髪を撫で、歳三は井戸へ向かった。
自身の埃まみれの身体を清めるついでに宗次郎の火照った身体と汗を拭ってやろうという気になっている。
あまり身体が丈夫とは言えない幼子のあまりに火照った身体に歳三は眉を寄せた。
「宗次、いつからあそこにいたのだ?ひどい汗だ」
「えっと、歳三さんが来る少し前だよ。ほんとうだよ?」
「馬鹿、余計に怪しいってんだ」
少し前にいたことをやたら強調する宗次郎に歳三は苦笑した。嘘のつけない幼子である。
一体あのお天道様の何がそんなにこの幼子の心を惹きつけるというだろう。
「宗次はお天道様が好きか?」
「はい!あのね、若先生のようです」
「……そうか」
興奮したようにそう言った宗次郎の髪を撫でる。
額に浮かぶ玉のような汗を手の甲で拭ってやると、宗次郎ははにかむような笑みを浮かべた。
歳三にとっても近藤は眩しい存在である。
宗次郎にとっては尚更そうであろう。
まだ幼い宗次郎にとってこの見知らぬ大人ばかりの道場で近藤だけが寄処なのだから。
理解はできるが、胸を焦がすような妬心が歳三の中にある。
(勝っちゃんのようには、いかねぇや)
そんなことを考え、一人苦笑していた歳三に、縁側に座り細い足をふらふらと揺らしていた宗次郎が、内緒話をするような声色で呼びかけてきた。
あのね、と言った小さな弟弟子に歳三は視線を移した。
「あのね、歳三さんはお月様みたいです」
「……月?」
「うん、だからね」
宗次郎は小さな手で口元を覆い忍び笑いをした。小さな肩が揺れている。
「夜、ひとりでも怖くないよ」
そう言って笑った宗次郎を見たとき、歳三は不覚にも涙が出そうになった。
試衛館に来たばかりの宗次郎は夜を怖がる子供だった。
そのくせこの見栄っ張りのこの幼子は、それを決して口にはしなかった。
そんな宗次郎を歳三はよく抱いて寝たものだ。
この幼子の闇を照らしてやれるなら、それも悪くない。
歳三は、微笑した。
「そうか。それじゃあ、お前は何だろうな?」
「…私、ですか?」
宗次郎は考え込むように首を傾げた。
一生懸命考える様はまだまだあどけない。
「私はね、一等輝くお星さまになりたいです!そうして、若先生と歳三さんの一番のお役に立つの!」
大きな瞳を輝かせて言う宗次郎のいじらしい哀願に歳三は目元を緩めた。
そういう表情をするとき、この男の端正な顏は一層優しくみえる。
うん、と頷いた歳三は、宗次郎の横に腰掛け、小さな身体を抱き寄せた。
豊な髪を撫でると、お天道様の匂いがする。
(お前は、星なんて儚いもんじゃねぇよ)
歳三は、そう思う。
(宗次郎は、きっと風のような男になる)
朝も昼も夜も、はたまた春も夏も秋も冬も関係ない、どんな所でも吹き抜ける風だ。
太陽や月の合間さえ吹き抜ける風になるだろう。
時に人の背を押し、時に人を癒す強く優しい風。
そうして、背中を押してくれるなら何も怖いものはない、と歳三は思った。
(お前は、いつまで俺の風でいてくれるのだろうな)
いつかこの小さな少年も己の道を見つけ、歳三から離れてしまうかもしれない。
その当然の「いつか」が来るのが恐ろしかった。
自分らしくない感傷が可笑しかった。
物思いに耽っていた歳三の手に小さな手がそっと触れてきた。
結構な力で引っ張られ、歳三は貌をあげる。
「ねぇ、歳三さん稽古しよう?」
「嫌だね。今し方着いたばかりで疲れてんだ」
纏わり付いてくる宗次郎を軽くあしらいながら、歳三は大仰に顏をしかめてみせた。
ぷくりと頬を膨らませて、膨れっ面をした宗次郎の頭を歳三は、乱暴に撫でる。
「仕方ねぇ。宗次、昼餉を喰ってからだ。そうだなあ、残さず喰えたら稽古をしてやるさ」
「ほんと?」
「ほんと。但し、残さず喰んだぜ?」
「たべるよ!」
ぱっと瞳を輝かせた小さな弟分を抱き上げ、歳三は室に入った。
見計らったように台所から源さんの声が聞こえて、二人は顔を見合わせて笑った。
夏を孕んだ風が二人の身をそっと包みこむ。
その心地良さに歳三は目を細め、小さな頭を胸に抱き寄せた。
はしゃぐ宗次郎の声を聞きながら、もうすぐ夏が来るのだと思った。
End